2009年11月03日

弱肉強食の食物連鎖を断ち切ることはできないが…

私の部屋にコリドラス・ピグマエウス(2匹)がやって来てから約1カ月、コリドラス・パレアトゥスとコリドラス・ステルバイ(各3匹)がやって来てから約2週間が過ぎました。ピグマエウスは最初ボララス・ブリジッタエたちと一緒の水槽で飼っていたのですが、その後小型コリ専用の20cm水槽に移しました。また標準サイズのパレアトゥスとステルバイたちは最初からコリ専用の30cm水槽内で飼っています。ちなみに、ベテランのアクアリストによるとコリドラスの仲間は赤虫やイトミミズのような生き餌を好むようですが、私にはちょっと抵抗があるので人工飼料しか与えていませんがみんなとても元気でスクスク育っています。

コリドラスの仲間は小さいとはいえさすがにナマズの仲間だけあってあのナマズ特有のヒゲが生えているし、いつもだいたい水槽の床砂をホジホジしていることが多くて、まぁお世辞にも彼らに「きれい」とか「かっこいい」とか「優雅な」といった形容詞は似つかわしくありませんが、とにかく彼らの仕草があまりにも可愛くてどれだけ観ていてもちっとも退屈させられません。世の中にこれほど可愛い魚がいるとは思ってもいませんでした。

とはいえ、他に飼っているボララスやアカヒレ等の魚たちやミナミヌマエビたちもそれなりに可愛いです。特にミナミヌマエビたちはウィローモスに付着した苔(藻類)やアカヒレの食べ残したエサを懸命に前足で口に運んでいるその慎ましい姿を見るにつけ、彼らの生きざまがとてもいじらしく思えてきます。

そういう訳で、彼らが私の部屋にやって来てからというもの、以前は普通に食べていた魚やエビなんかも、近くのスーパーに行って彼らの仲間の死体を見るとなんとも形容し難い複雑な気持ちになり、最近では魚類やエビ類を積極的に食べたいとは思わなくなってしまいました(ちなみに刺身や寿司等の生魚は元々一切食べません)。もちろん、そうは言っても彼らは様々な加工品の素材に使われており、また私自身も「動物」という宿命から抜け出すことができない以上、自身の生命を維持するために、より立場の弱い物言えぬ生き物たちを殺して食べざるを得ないのですが、そのときにも彼らに対して「本当にごめんね」という気持ちだけは常に持ち続けようと思います。

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2009年10月25日

私の部屋にやって来たコリドラスたち

つい先日、私の部屋の水槽に新たな仲間が加わりました。小型ナマズの仲間(正確にはナマズ目カリクティス科コリドラス属)であるコリドラス・パレアトゥス3匹とコリドラス・ステルバイ3匹です。何故コリドラスばかり6匹かといいますと、2週間ほど前から飼い始めたコリドラス・ピグマエウスの仕草があまりに可愛いので、次第にコリドラスという種自体に興味を持ち始めたからです(どうも私には「美しさ」より「可愛さ」のほうが重要な要素みたいです)。それでコリドラスの仲間の中では最も安価なパレアトゥスと比較的安価なステルバイという種をそれぞれ3匹まとめて特価で購入したのです。

実を言うと、犬や猫を飼いたいのですが、私の部屋では水槽生物以外のペット飼育は禁止されているのです。いままで黙ってウサギやハムスターを飼っていましたが、「隠れて飼っている」という思いがいつも脳裏から離れず彼らが不憫で仕方がありませんでした。それで2匹目のハムスターの死後しばらくして観賞魚飼育を思い付いたのです。それに私のパートナーが超犬好きで4匹のミニチュア・ダックスフント(超カワイイです)を飼っているので私のほうは熱帯魚を飼うことに決めたのです。

パレアトゥスもステルバイもどちらも可愛くて仕方がないのですが、両者の性格はかなり違うようです。パレアトゥスはとても臆病で私がちょっと近づいただけでびっくりしてすぐに水草の陰に隠れてしまうのですが、ステルバイのほうは全く隠れようとせず、いつも私に向かって3匹揃って愛くるしいダンスを見せてくれています。彼らを飼い始めてからというもの一日中部屋にいても全く退屈することもなくなりました。外出していても彼らの安否がとても気になり、帰宅するや否や、彼らの無事を確認しています。本当に小さないのちかもしれないけれど、いつも私の心を和ませてくれ、いまや彼らの存在は私の日々の生活に欠かすことができないものになりました。超小型種のピグマエウスは短命ですが、パレアトゥスやステルバイは10年くらい生きることもあるらしいのでできるだけ長生きさせてやりたいと思っています。

ちなみに私の部屋には4つの水槽がありますが、ヒーターは付けず、エアコンの温度を22度の暖房に設定していつも付けっぱなしにしています。コリドラスの仲間は23度前後の水温が適温ですし、22度という気温は私にとっても最も快適な温度だからです。といっても私の部屋はその構造上からか、外の気温が10度でも切らない限り20度を大きく切ることはめったにないので、電気代はさほど掛かりません(ちなみに夏は27度の冷房に設定する予定です)。照明も最初に買ったオールインワン水槽以外には付けていません。日中は水槽内に太陽光が適度に届きますし、水草もアヌビアス・ナナのような耐陰性の強い種類しか入れていないからです。という訳で、ややもすれば熱帯魚を飼うとお金が掛かると思われがちですが、少なくとも私の場合は熱帯魚飼育にたいしたお金を掛けることもなく、実に潤いのある毎日を送らせてもらっています。
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2009年10月22日

新型インフルエンザワクチン接種は冷静に判断しよう

既に自治体によっては新型インフルエンザ(A/H1N1)ワクチンの医療従事者への接種が始まっています。某メディアで「日常的に多くの患者さんに接している自分たちが新型インフルエンザに感染するわけにいかないから」とワクチン接種を心待ちにしていたという看護師の言が紹介されていましたが、この認識は完全に間違っています。インフルエンザワクチンを接種すればインフルエンザに感染しなくなる訳で全くなくあくまでウイルス感染による症状の重症化を抑える(と期待されている)に過ぎないのです。ですからワクチン接種後に新型インフルエンザに感染して幸い軽症で済んだとしてもウイルスが体から完全に排出されるまでは人に感染させてしまう可能性があります。

そもそもインフルエンザには普通に生活していれば(どれだけ手洗いやうがいを励行したところで)遅かれ早かれいつかは感染してしまう可能性が極めて高く、その多くはたいした症状もないままいつの間にか治癒しているためワクチン接種後に新型インフルエンザに感染し仮に症状の重症化が抑えられたとしてもそれが当該ワクチンの効力によるものなのか自然感染による自身の免疫抗体(耐性)によるものなのか実のところはっきり分からないのです。もし後者の場合であれば、そもそもワクチン接種は必要なかったどころか有害無益だったとさえ言えるでしょう。

以上の点から観てもアナフィラキシーやギラン・バレー症候群等の副作用が強く懸念されているインフルエンザワクチンを果たして「健康な成人」に敢えて接種する必要性があるのか甚だ疑わしいですし、ワクチン接種を強く進められている13歳未満の低年齢者の場合でも、ワクチンの防腐剤に使用される有機水銀化合物のチロメサンによる脳への影響(アスペルガー症候群等の原因になる)も懸念されています。

厚生労働省はこれらの懸念が存在する事実を知っていながら、「十分なワクチンの確保」を声高に叫び続ける世論とマスコミに押し切られてしまっているのです(この辺りの事情は分からないでもないのですが)。よく今回の「新型インフルエンザ」が従来の季節性インフルエンザと性質が違うとか感染力が強いとか言われますが、従来の季節性インフルエンザだって最初に流行ったときはやはり「新型」だったのです。そしていまの「新型インフルエンザ」もやがて「従来型(旧型)」へと移行していきます。

ヒトの体内に感染防御抗体が形成されていない「新型」が従来のインフルエンザウイルスより感染力が強い(という印象を受ける)のは当然と言えば当然なのではないでしょうか。あとはそれでもワクチン接種を受けるか否かを国民一人一人の判断で冷静に判断するよりほかありません。ちなみに私は(子供のころはいざ知らず)少なくとも大人になってからインフルエンザワクチンを接種したことは一度もなければ、インフルエンザに罹ったことがあるのかどうかさえ調べたことがないので分かりません。とはいえ、常識的には恐らくいつの間にか感染していつの間にか治っていることは間違いないでしょう。

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2009年10月16日

新型インフルエンザワクチン接種に対する素朴な疑問

5月以降、いわゆる「新型インフルエンザ」なるものが世界的に大流行してからというもの、それに対応する予防ワクチンの開発および製造が先進諸国で急ピッチで進められてきました。我が国でも多くの自治体で今月から先ず医療従事者のほか、妊婦と基礎疾患のある人から順次ワクチン接種を実施していくことになっています。しかしながら生来天の邪鬼な私はこの新型インフルエンザワクチン接種の有効性をいまでも疑っています。より正確に言えば、新型インフルエンザに対してワクチンが殆んど効かないと言っている訳ではなく、基礎疾患のない「健康な成人」に対するワクチン接種の有意味性を疑っているのです。

言うまでもなくワクチンとは問題を引き起こしている病原体(今回のケースではA/H1N1)を無毒化もしくは弱毒化したものを人為的に感染させることにより体内に免疫抗体を作ろうという試みです。この場合たとえ病原体が無毒化もしくは弱毒化されているとはいえ病原体を人体に注入しているのですから人によってはアナフィラキシーやギラン・バレー症候群等の重篤な副作用が発現する可能性があると言われています。

このように多くの専門家からワクチン接種の有効性と安全性に疑問が投げかけられているにもかかわらず、それでも敢えて「健康な成人」にまでA/H1N1予防ワクチン接種を受けさせる必要性があるのでしょうか?通常は健康な成人の殆んどは敢えてワクチンを接種しなくても自身が本来持っている免疫系の働きによりそれほど重症化することもなく自然に治癒しています。そしていったん自然感染してしまえばワクチンによる感染よりはるかに効率的に免疫抗体が形成されることになります。ですからそれでも敢えて新型インフルエンザワクチンの接種を実施するのであれば、それこそ「副作用のリスク」と「インフルエンザ感染症の重症化の軽減」の両者を天秤にかけて、それでもなおワクチン感染によるメリットを選択したほうが良いと確実に判断される人たち、すなわち妊婦や基礎疾患のある人たちに限定したほうがいいのではないでしょうか。

もちろんワクチン未接種によるインフルエンザ感染症の重症化はできる限り避けたいところですが、私には現段階で「健康な成人」に対してインフルエンザ予防ワクチンの接種を実施しない場合と実施した場合の重症化率に顕著な差が出るとはどうしても思えないのです(こればかりは確かめようがないですが)。そもそも私たち人間は有限の存在であり今後どれだけ医学・科学が進んでも「老」「病」「死」という厳粛な限界状況を乗り越えることなんて絶対にできないのです。すなわち何人(なんぴと)も生きている限り、常に何らかの原因でその生を終えなければならないのです。多くの専門家からワクチン接種による副作用が指摘されており、しかもワクチン自体の有効性についてさえ疑問視されているにもかかわらず、健康に全く問題のない一般市民にまで当然のごとくワクチン接種が奨励されてしまう背景には「行き過ぎた生活習慣病対策」同様、むしろ医療業界と製薬会社の癒着による巨大利権が大きく絡んでいるように思えて仕方がありません。とはいっても、現実には多くの「健康な成人」たちは「我も我も」と自ら率先してワクチン接種を希望することでしょう。

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2009年10月09日

水槽の中の小さな住人たち

私の机の上の小さな水槽にはボララス・ブリジッタエ5匹、アフリカンランプアイ2匹、コリドラス・ピグマエウス(通称ピグミー)2匹、それにミナミヌマエビが3匹います(ちなみにややサイズが大きめのゴールデンアカヒレ2匹は常温水槽に移動しました)。みんな成体でも全長3cm足らずの小さな生き物たちですが、ピグミーは(コリドラスのなかでももっとも小さな種)小さくてもさすがにナマズの仲間だけあって横にふっくらとしていてこの水槽内の小さな「住人」たちの中ではかなり大きく見えます。

何故かいつもペア(雌雄は不明)でいることが多くて、浮き袋がないのか普段は水槽の下のほうにいるのですが、遊泳するときはプロペラ機の翼のようにもみえる小さな胸鰭(むなびれ)を一所懸命に上下にバタつかせながらいかにもぎこちなく泳ぎます(その姿のかわいいこと!)。でも時々眼にも止まらぬ驚くほどの速さで水面にちょこっと顔を出して再び戻ってくる様(さま)を発見したとき、それまでこの子たちにこれほどの俊敏力が備わっているとは思ってもみなかったので一瞬わが目を疑ってしまったほどです。

どの子もみんな本当にかわいいのですが、その中でもその姿や仕草がいかにも愛嬌のあるコリドラス・ピグミーはどれだけ観ていても全く飽きることはありません。それどころか外出中も時々彼らのユーモラスな顔や姿を思い出しては思い出し笑いしています。それにしてもこの小型水槽の中の住人たちはサイズが似通っていることもあり、みなとても仲良しでアクアリウムワールドは理想的な状態で平和と秩序が保たれています。

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2009年10月06日

新しい仲間が加わりました

いつのまにか10月になっていたのですね。なんか最近時間が経つのがあまりにも速く感じられ、まるで「死のゴール」に向かって一目散に駆けているかのようです。とはいえ、事実上仕事オンリーに近い状態だったひところと比べ、さすがに収入こそ減りましたがいまの生活は実に充実しています。「幸せはお金では買えない」(すなわち、どれだけお金があってもそれだけでは真に持続する幸福を得ることはできない)という諺(ことわざ)というか教訓を身をもって感じている毎日です。

もちろん、私のような凡夫(ぼんぷ)にもこのような充実した生活が可能になった主な要因として「IT革命」「インターネットの急速な普及」という事実を見逃すことはできないでしょう。そして時間に余裕が出てくると、いろいろなモノやコトへの関心度がますます高くなってくるようで、それこそ身体がいくつあっても足りないくらいです。

最近ハマっているのがアクアリウムワールドです。ちなみに昨日わが水槽にアフリカンランプアイというメダカの仲間2匹とコリドラス・ピグマエウス(通称ピグミー)というナマズの仲間が2匹加わりました。コリドラス・ピグマエウスはその容姿といい泳ぎ方といい、たしかにあの大きなナマズと似てはいるものの全長が2〜3cmくらいしかなく実に愛嬌のあるかわいい魚です。水槽内を不器用に泳ぎ回る彼らのユーモラスな姿を観ていると本当に心が和みますね。彼ら魚たちのかわいい姿を観ながら思索に耽ったり、パートナーのことを考えたり、数学や語学の勉強をしている時間は私にとってまさに「至福の時」と言っても過言ではありません。
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2009年09月29日

朝青竜関のガッツポーズはそんなにいけないことなのか

横綱の朝青竜関が秋場所千秋楽での優勝決定戦を制して4場所ぶり24回目の優勝を決めた直後に嬉しさのあまり、つい両腕で一瞬ガッツポーズを決めたことが改めて社会的な問題になっているようです。ですが、私自身はどれだけ考えても、なぜあの程度のガッツポーズでこれほどの問題になるのか、正直言ってよく分かりません。

そもそも相撲取りであっても普通の人間であれば、嬉しいことがあればなんとかしてその気持ちを表現したいと思うのは極めて自然な感情であり、いわんや角界にも多くの外国人が入ってきて、いまや大相撲が世界各国に放映されるようになってきている現在、「嬉しいことがあっても悲しいことがあってもとにかく感情を押し殺す」というある意味で不健全とも言える旧来の日本的伝統をあくまで死守する必然性はもはやないなのではないでしょうか。もちろん、あまりにもオーバーなジェスチャーであれば多少の注意は必要かもしれませんが、今回問題になっている朝青竜関のガッツポーズはほんの一瞬であり、極めて自然な感情表現であることは一目瞭然です。

「武士道精神のようなもので絶対にいけない」「相撲は神事でもある。単なるスポーツとしては考えてほしくない」とか言って批判を繰り返す横綱審議委員がいる一方、「今回は私が色々な人に聞いても、あの程度なら許されてもいいという意見もある。私個人としては違和感はない」と容認する考えを示す審議員も出てきているようです。横綱審議委員の間でさえ意見が分かれる程度の「問題」で朝青竜関の素直な感情表現をあえて糾弾する必要が本当にあるのでしょうか。

内館牧子委員はすぐに「武士道精神云々」を引き合いに出しますが、だったら現在の柔道界はどうなのでしょうか?柔道選手にはガッツポーズが許されてどうして相撲取りにはそれが許されないのでしょうか?いまや全世界に普及した柔道の国際試合ではガッツポーズがごく普通に見られるようになりましたが、それでも柔道には「日本の精神文化」の伝統が脈々と流れているように私には思えます。

たとえどんなに嬉しくても「できる限り感情表現を抑制する」のを美徳とする関取がいても至極当然ですが、その一方、朝青竜関のような「素直に喜びの感情を表に出す」ような関取がいてもちっともかまわないのではないでしょうか。私自身は今回の朝青竜関のガッツポーズには全然違和感がないどころかむしろ、彼のように喜びや悲しみといった感情表現を素直に表現できる人間性をとても微笑ましくさえ思います。

<追記>
朝青竜関に対する処分は見送られたようです。内館氏ら守旧派委員もさすがに今回はその矛先を引っ込めたということでしょうか。

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2009年09月28日

小さないのちから学ぶ

前回ご紹介しました水草水槽(30cm)に加えて、つい先日20cm足らずのオールインワン小型水槽と50cm程度のプラスチックケースを入手しました。オールインワンはコンパクトな上に、ブルーのLED照明も付いているので私の勉強&仕事机の大画面液晶モニターのすぐ隣りに置き、比較的安価なボララス・ブリジッタエ5匹とゴールデンアカヒレ2匹、それとコケ(藻類)掃除用にミナミヌマエビ3匹を入れました。一方、プラスチックケースのほうはベランダにあるアレカヤシの大きな鉢のそばに置いて底床にウィローモス付き流木を置き、それからホテイ草やマツモ、カボンバ等の水草を浮かべ、とりあえずミナミヌマエビ10数匹と緋メダカ5匹を入れてみました。ちなみにボララス・ブリジッタエは成体でも2cm足らずのとても小さなコイの仲間で、私が飼っているミナミヌマエビたちとほぼ同サイズです(ちなみにメスのミナミの成体は最大で3cmにもなるらしい)。

彼らの動きをじっくり観察しているうちに、いつのまにかすっかり彼らの世界に引きずり込まれている自分に気付きます。何故か縁あって私に飼われることになった(なってしまった)彼らの存在がとてもいとおしく思えてきます。こんな小さな「いのち」なのに彼らには彼らなりの「人生」があり、彼らなりの世界があるんですよね。たとえ「小さないのち」ではあっても「みんなせいいっぱい生きている」という点である種の「同胞意識」というか、なんともいえない親近感を覚え、それこそ生あるものは広い意味で「みんな友だちなんだ」ということを改めて実感します。

とはいえ、現実の世界はまさに「喰うか喰われるか」「生きるか死ぬか」の過酷な生存競争に明け暮れており、私たち人間も生き続けるために何の罪もないけなげな多くの動植物の尊い「いのち」を奪い続けています。人間を含めてあらゆる生物は自身の生命を維持し、子孫を残すために、他者を殺し続けなければならないのです。これを業(カルマ)と言わずしてなんと表現できるでしょうか?最近エビたちやメダカたちと徐々に心が通い始めてきているせいか、無数の小さなエビを具にしている小エビのかきあげ天とか、ちりめんじゃこ(しらす干し)とかいった食材を見ると、なんだか複雑な気持ちになってしまいます。

確か中学時代に読んだ宮沢賢治の童話に『よだかの星』というのがありました。「よだかは名前は「たか」ですが、実は醜(みにく)いカワセミの仲間で、本当の鷹たちから「面汚し」「名前をあらためろ」と言って責め立てられます。でもそんなこと簡単にできることではないのです。もう生きているのが厭(いや)になってしまって、ある日夜空に向かってひたすら飛び続けます。飛び続けながら、自分自身もなんの罪もない多くの虫たちを喰い殺していることに気付き絶句します。それでもひたすら飛び続け、最後にお星さまになった」といったような内容だったと記憶していますが、これは作者がきっと人間を「よだか」に例えて、人間の業(カルマ)、ヤスパースの言葉で表現すれば「どうしても避けることのできない罪責という限界状況」に私たちの眼を向けさせようとしたのではないでしょうか。
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2009年09月23日

アクアリウムワールドに目覚める

私が飼っていた愛鼠(ジャンガリアン・ハムスター)が死んだ後、淋しさに耐えられなくなり水草水槽にメダカとミナミヌマエビを飼い始めました。最初こそ水合わせに失敗し、数匹のメダカたちを死なせてしまうハプニングがありましたが、その後はみんな元気で水槽内を泳ぎ回っています。

正直言って彼らを飼い始めた当初は、直前に飼っていたハムスターのように彼ら魚類や甲殻類に感情移入することなんてとてもできないと思っていたのですが、毎日水槽を覗き込んで彼らの動きをつぶさに観察しているうちに次第に彼らに感情移入している自分に気づくようになりました。

ミナミヌマエビは2〜3cmくらい(稚魚すなわち稚エビは数ミリ足らず)の本当に小さなヌマエビの仲間なのですが、盛んに前足を動かして大好物の藻類(いわゆるコケ)などの餌を食べている姿は観ていていじらしくもあり、またちょっとユーモラスでもあります。またミナミヌマエビを観察していた後メダカ(クロメダカこと野生メダカ)に眼を移すと、あの小さなメダカたちがなんだか意外に大きくってすばしっこい戦士に見えてくるから不思議です。

彼らを飼い始めてから水草や熱帯魚(温帯魚を含む)などの水生生物やその飼育方法に非常に興味が湧いてきて、最近では図書やネットでいろいろ調べ物するのが新たな日課になっています。アクアテラリウムについて、つい最近まで全くと言っていいくらい知識がありませんでしたが、いまではかなり詳しくなりました。遠い宇宙に想いを馳せて見知らぬ生命体のことを考えるのも楽しいけれど、身近な生き物たちと親しむことも実に楽しいです。追々水草水槽も増やしていき、さらにビオトープ(ベランダ等に造るアクアテラリウム)にも挑戦しようと思っています。
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2009年09月15日

小さないのちの死を通して

先日当ブログで、2年以上にわたって大事に育てていたハムスターが老衰で亡くなったことをお伝えしましたが、いつも私の傍らに居たのに突然いなくなったものだから無意識のうちについその場所を振り返ってしまうことがあります。そのときの淋しさを少しでも紛らそうとその場所に水草水槽を置いてメダカとミナミヌマエビを育てることにしたのですが、水質が合わなかったため近所のペットショップで買ってきたメダカ数匹が一日で死んでしまいました。そのあと、ネットショップで注文しておいたミナミヌマエビ十匹(実際には稚魚を含めて十数匹)を追加したのですが、幸いこちらはうまくいってみんな元気に水槽内を泳ぎ回っています。

このことをさっそく私のパートナーに伝えたところ、ハムスターが死んですぐにメダカやミナミヌマエビを飼い始め、しかもいかなる理由があれ小さないのちを死に至らしめた私の行動に対して疑問を投げかけられてしまいました。私自身は、たとえ手のひらに軽く収まるくらいの小さな体の持ち主とはいえそれなりにこころが通じ合うハムスターと違い、メダカやミナミヌマエビのような生き物の死に対しては正直言ってそれほど深刻に考えていませんでした。むしろ水草水槽自体のレイアウトに関心があり、その中に入れるメダカやヌマエビの動きもせいぜい目の保養になればいいくらいに軽く考えていたのです。

しかしながら思ってもみなかったパートナーの反応を受け、たとえ小さいとはいえあくまで哺乳類の一員であるハムスターと、メダカやエビのように、それ以外の生物を無意識のうちに差別していた自分の浅はかさに気付かされハッとさせられました。自身のこころに潜む悪魔のような冷酷な部分をいやが上にも知らされ、いまちょっと自己嫌悪に陥っています。

私は元々それほど肉は食べないほうなのですが、もうこうなったら、今後は哺乳類の肉はもちろん魚もエビもいっさい食べるのをやめようかとさえ思ったりもしました。ですが、悲しいかな、現実には私の意思にかかわらず、必ずや私の肉体が動物性たんぱく質の摂取を要求してしまうでしょう。なんとも浅ましいことですが、これが現実です。ペットとして大事に育てようとしたにもかかわらず結果的に彼らを死に至らしめてしまった罪と、生きるために必要だからという理由で彼らを殺して食べてしまう罪と、はたして本質的な違いはあるのでしょうか?
posted by hiro at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする